レイバーペインズを読んでくださっている皆さんなら、日本の労働問題の最たるものが「長時間労働」、「過労死(自殺)」であることは重々承知だろう。にもかかわらず、ことあるごとに、労働法は時代遅れだとして、労働法の規制緩和をどんどん推し進めてきたのが他ならぬ現在の安倍政権なのだが、その安倍政権がなぜか去年から、残業時間の「上限」を法律で定めるべきだと主張し始めた。 このことは、政府がこれまでのバリバリの「規制緩和」から、「規制強化」路線へ180度方針転換したのか、とずいぶん騒がれたが、疑い深い私は、これには裏があるにちがいない、という気持ちが拭い去れなかった(このことは、2016年12月25日のLabor Painsでも述べている)。安倍首相は現在の財界トップである榊原定征(さかきばら さだゆき)経団連会長と親密な関係であり、自らの外遊にも連れていき、世界各国で日本企業を首相みずからが“トップセールス”するのだと自慢げに言っている。安倍首相が、自分の大切な「お友達」が多い経済界の締め付けを強めるようなことを本気でやるとはとても思えなかったのだ。
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By Justine Underhill At 3 a.m. on Monday morning, Eriko Fujita leaves the IBM offices in Tokyo. She rushes home […]
Takuboku Ishikawa died in 1910 at the tender age of 26. But before he left this […]
働けど 働けどなお 我が暮らし 楽にならざり じつと手をみる 1910(明治43)年に26歳で夭逝した歌人の石川啄木による、あまりにも有名な短歌である。「どれだけたくさん働いても、一向に暮らしは楽にならないのはなぜだろう? 途方に暮れて、思わずじっと自分の手を見つめてしまう・・・」という意味である。 啄木は若き才能あふれる文学者であったが、生前はその才能が世間になかなか認められず、代用教員や校正など、生活のために様々な職に就いていた(ちなみに、彼は周囲の人に借金をしまくっており、しかもその返済をしなかったという)。ただし、啄木は肉体労働には就いていなかったので、「じつと」見つめていた手は、きっと赤剥けもささくれもなく、細く白かったのだろうと推測できる。