昔から今に至るまで、テレビドラマにはいろいろな「お決まりのシーン」がある。たとえば、朝、慌てて家を飛び出すヒロイン、通りすがりの男性に思いっきりぶつかり「あ、ごめんなさい~」と顔を赤らめながら立ち去ったときに、うっかりアクセサリーを落としてしまう。そして数日後、たまたま入ったカフェ。向かい側に座っているのは・・・あ、あのときの・・・そして、ロマンスが始まる、というパターン。(注:ここで落とすのはアクセサリーに限らず、財布や定期券などもポピュラー)

あるいは、会社の同僚の男女。男性はいつも女性をからかったりきついジョークを投げたりと、まったく女性として見ようとしない。女性も男性のことを気をつかわなくてよい友人として接していた。でもある日、女性がとても辛いことがあって、思わず会社で涙してしまう。すると男性は、これまでに見せたことがない真剣な顔で女性にこう言うのだ。「お前のこと、ずっと俺は見てたよ。だってずっと前からお前のことが好きだから」……♡というパターン。

こうやって書いているだけでも恥ずかしくなってくるのだが、これらに負けずとも劣らない「お決まりのパターン」がある。テーマ設定は何かといえば、それはずばり「残業」である。ドラマではよく、恋人が相手の誕生日を祝うために、サプライズで素敵なレストランを予約したり、プレゼントを準備していたりする。そして、「今日は絶対に遅れるなよ。じゃ午後7時に銀座和光前で。」と約束をして、準備は万全。あとは時間が来るのを待つばかり・・・。そして待ちかねた終業。さあ、いざ銀座和光前へ!!! 急いで帰り支度をしているところに、上司の部長が近づいてきて、こう言うのだ。「○○くん、たった今、大切な取引先からクレームの電話が来てね。ずいぶんお怒りの様子なんだよ。今からすぐにお詫びに行ってもらいたいんだが、いいかね。」

なんてことだ!!! お前が行けよ、このジジイ!!! という罵倒は自分の心の中にだけしまって、結局のところ、部長の頼みを断り切れず、速攻で取引先に向かい、不平不満をぶちまかれながら平謝りに謝るということになってしまうのだ。そうしているうちに、時計は8時を過ぎ、9時を過ぎ・・・。銀座和光前には、待ちぼうけで疲れ果てた彼女が待っている。ついに時計が10時を過ぎたころ、彼女はそこを立ち去る。そして思うのだ。「あの人は、私のことなんてどうでもいいんだわ。今日は私の誕生日なのに・・・ひどい、ひどすぎる」。

こういうシーンは、本当にたくさんのドラマで目にする。たいてい残業して約束をすっぽかすのは男性の方で、待たされるのは女性というパターンが圧倒的に多い。そしてもう一つ気になるのは、そのときは女性は怒るのだが、たいてい最後に誤解が解けて仲直りをしたときには、「残業を引き受ける責任感の強いあなたのことが好き」「きちんと最後まで仕事をしようとするあなたがかっこいい」と女性が思うのである。こんなところにも、残業を美徳とする風潮を感じて嫌な気持ちになってしまう。

さて、労働者にとって残業とは、命じられたら必ずやらなくてはいけないものなのだろうか。たとえば、あなたが半年前にチケットを買って楽しみにしていたコンサートがあるその当日に、上司から残業を命じられたらどうするだろうか? 多くの人は、「すみません。コンサートがあるので今日は残業できません」と答えるだろう。しかし、上司が次にこのように言ったら、あなたはどうするだろうか?

「ほほう、上司の残業命令を断るのか。じゃあ、君を懲戒解雇するしかないな.」」

「残業は労働者の義務なのか。」この問いに対する答えとなった有名な最高裁の判例がある。日立製作所武蔵工場事件である。判決日は 平成3年11月28日である。

まずは事案の概要を見てみよう。

原告の男性は、日立製作所の武蔵工場に勤務し、トランジスタラジオの製造部に所属していた。ある日、原告が労働時間中に「手抜き作業」をしたということが判明したため、上司が原告に対して、手抜き作業をした分、本日は残業をして、作業の手直しをするように命じた。しかし、原告は残業を拒否して、その代わりに、翌日に、命じられた作業を行った。すると使用者側は、残業命令を拒否した原告に、計14日間の出勤停止の懲戒処分をくだしたのである。しかも、懲戒処分後も、原告は残業命令に従う義務はないとの考えを貫いたので、その後3回連続懲戒処分を受けることになってしまった。そこで、ついに会社は、これ以上「悔悟の見込み」がないものと判断して、原告を懲戒解雇するに至ったのである。これに対し、原告が、懲戒解雇は無効であると主張して提訴したのが本件の経緯である。

「36(さぶろく)協定」には、残業を命じることが出来る場合として、下記の事項が記載されていた。

・ 納期に完納しないと、重大な支障を起こすおそれのある場合

・ 賃金締め切りの切迫による賃金計算又は棚卸、検収・支払い等に関する業務ならびにこれに関する業務

・ 配管、配線工事等のため所定時間内に作業することが困難な場合

・ 設備機械類の移動、設置、修理等のため作業を急ぐ場合

・ 生産目標達成のため必要ある場合

・ 業務の内容によりやむを得ない場合

第1審は、原告の主張通り、今回の懲戒解雇は不当として無効とした。しかし、第2審である高等裁判所では原告の逆転敗訴であった。裁判官は、判決は36協定が締結されており、就業規則にその旨の定めがあるときは、就業規則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容になるから、この就業規則の適用を受けた労働者は残業の義務を負う、と判断したのである。そしてそれは、最高裁の判決内容にも関連している。

結論としては、36協定に定める所定の事由が存在する場合は、従業員に時間外労働をするよう命ずることができ、従業員は時間外労働する義務を負う。以上により、残業命令に従わなかった従業員に対して行った懲戒解雇が、権利の濫用に該当するということはできない。と結論づけた。

労働法学者は、この点について、「包括的同意説」と「個別的合意説」という二つの立場に分かれている。前者は、個々の労働契約の内容を一律に規律することによって、包括的な時間外労働義務が発生すると考える立場で、残業に関して労働者個人への同意をとる必要はないとの立場である。他方、後者は、一般的な時間外労働義務を定める就業規則や協約だけでは足りず、使用者の残業の申し入れに対して「個々の労働者」が同意した場合に、初めて義務が発生すると解する見解である。

本件で、最高裁が包括的同意説の立場に立ち、労働者の残業というものを実に実に広範に認めている点については、声を大にして反対したい。しかも本件では残業を拒否した原告に対して、労働法上の極刑である「懲戒解雇」をも肯定しているが、これはあまりにも重過ぎる処分であり、法的公平性をも欠くものと言わざるを得ない。

もし、本件のようなロジックで残業義務が発生するのであれば、使用者は、簡単に、労働者を長時間奴隷のように自由を奪いながら酷使することが可能になるだろう。それは、「ワークライフバランス」や「労働時間の削減」といった政府が掲げているスローガンとは真っ向から反対の流れである。

冒頭で紹介したドラマ等の「お決まりのシーン」に話を戻そう。これからは、「残業? 今日はお断りします。だってこれから彼女の誕生日を祝うディナーの日ですから。では、お疲れ様でした!」と言って颯爽と帰っていく・・・というのを新たなお決まりシーンにすればいいかもしれない。やがてそれが当たり前の光景になれば、もっといいな。

奥貫妃文
Hifumi Okunuki
相模女子大学法学の専任講師
Full Time Lecturer of Law at Sagami Women’s University
全国一般東京ゼネラルユニオン執行委員長

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