今から11年前、日本のプロ野球は、日本プロ野球球団設立以来初めてのストライキを行った。当時最大規模の「球界再編」が行われようとしていたが、その決定のプロセスのなかに「選手」は入っていなかった。自分たちのことなのに、なぜ自分たちが外されているのか…? 我慢ができなかった選手たちは、当時の選手会会長である古田敦也(ふるた あつや)氏を中心に、何回も団体交渉を重ねたものの、交渉は決裂。そしてついに、開催予定だった6つの試合でストライキが決行された。

ストライキは2日に及んだが、この間、選手たちは自主練習をしたり、ファンとのふれあいのイベント(サイン会や写真撮影会)を開催したりしていた。彼らのストライキに対しては、ほとんどのファンがストライキを支持し応援していたものの、なかには「ファンをないがしろにしている」、「自分たちだけよければいいのか」といった非難もあった。選手たちはおそらくこうした声を重く受け止めていたのだろう。彼らは、ストライキが苦渋の果ての決断であったということ、そして、決してファンを軽視するものではなく、むしろファンにとってより楽しいプロ野球にするためにも、ストライキが不可避であるといったことを、一生懸命にアピールしていた。

毅然と指揮をとっていた選手会会長の古田氏が、テレビに生出演した際「身体に気をつけてください」というファンのメッセージを聞いて思わず涙を浮かべた姿を私は今も覚えているが、圧倒的に強い権力をもつ球団経営陣を相手に、選手会が心身共にものすごくタフな闘いをしていたことは想像できる。そして、この「タフ」さのなかには、対経営者だけでなく、「ストライキなんて…」という世間一般の「マイナスの空気」に対する闘いも含まれていたのだろう。

日本では、「お客様第一主義」、さらに最近は、「おもてなし」を強要するかのような空気が日増しに強くなっている。こういう空気の中では、ストライキに対する風当たりはいっそう強くなる。さらにそのなかでも、学校で教える教員や講師は、さらなる強いプレッシャーが肩にのしかかることになる。つまり「生徒のことはどうでもいいのか!」「教員は自分の労働条件を主張する前に、まずは子どもの教育を第一に考えろ!」といったプレッシャーとの闘いである。

しかし、教員や講師だって「教育労働者」である。実は日本では、公務員にスト権がないので、公務員である公立学校で教える教員はストライキができないという大問題があるものの、その大問題については、今回はあえて触れない。とにかく、労働者であれば、誰でもストライキをする権利はある。日本国憲法28条は「労働三権」(団結権・団体交渉権・団体行動(=ストライキ)権)を保障している。だから、理屈上は、罪悪感を感じたり、「すみません」と遠慮する必要は一切ないのだ。

この権利は、過去の万国の労働者たちが文字通り「命をかけて」獲得してきたものだ。ストライキとは、まさしく労働者の生命線であるといえるだろう。しかし、いったいどのくらいの労働者がそのことを認識しているだろうか。

今回紹介するのは、今から約18年前に「日米英語学院」という英語学校で働く組合員たちが決行したストライキについてである。このケースを振り返ることで、改めて「労働者にとってのストライキ」のもつ意味を考えてみたいと思う。

まず、事例の概要を紹介しよう。東京と関西にスクールをもち、英会話の授業を展開する日米英語学院で、ポール・ドーリー氏は、期間を一年とする雇用契約を毎年継続更新しながら、英会話学院Yの英会話講師として就労していた。彼は後にゼネラルユニオンという大阪に拠点を置く労働組合に加入し、支部を作り支部長として活動していた。支部は次第に拡大し、学校で働く講師だけでなく、事務スタッフも組合に加入し、労働条件の向上に向けて数々の成果を上げてきた。一般的に、語学学校では、「外国人労働者vs日本人労働者」、「講師vs事務スタッフ」といった対立構造を作り上げて、労働者同士で団結をしないように仕向けることが多いのだが、日米英語学院ではそういった壁を乗り越えて、幅広く職場のあらゆる労働者が団結することに成功していた。

そういう強固な団結に脅威をもつようになったのか、やがて学校は組合員らに対するさまざまな嫌がらせをするようになった。何回か団体交渉をするものの、そこでは進展が見られなかった。そこで組合員らは、ついにストライキの決行に至ったのだ。講師の場合、ストライキはレッスンということになるが、学校側は、ストライキを行った講師のレッスンには代講講師を配置することになる。そこで、組合員らは、その対抗措置としてレッスンの一部(たとえば、40分の授業のうちの15分だけをストライキとする)のみストライキをするといったこともやるようになった。

これは、学校側にとっては非常にイマイマしいことだっただろう。ついに学校は、ストライキの中心人物であるドーリー氏をグループレッスンの担当から外すとともに、授業の担当数を減らすとともに、ドーリー氏のプライベートレッスンを受けようかと考えている生徒に対して、ドーリー氏がストライキを行うかもしれないと予め告げるなどして、生徒がドーリー氏の授業を受ける気をなくさせるような言動を繰り返した。

その影響を受けて、ドーリー氏の稼働率は著しく減少することになった。そして学校はドーリー氏の稼働率が50%未満となったこと、ならびに、割り当てられた義務とスケジュールに関して、事務職員に非協力的な態度をとることなどを理由として、ドーリー氏に解雇を通知した。

そこで、ドーリー氏は、本件解雇は、稼働率減少の原因は会社にあることから、解雇権の濫用、および、労働組合の壊滅を企図した不当労働行為に当たり無効であるとして、(1)雇用契約上の地位の確認、(2)未払賃金の支払い、を求め提訴した。

大阪地方裁判所は、ドーリー氏の主張を全面的に認めた(大阪地方裁判所平成12年3月10日判決)。裁判所は、レッスンのストライキを望まない受講生がいるということは合理的に推認できるところ、かかる状況下で、レッスンのストライキを実施した場合、債権者の行うプライベートレッスンの数が減少することは避けられない。このような場合に、プライベートレッスンの数の減少を解雇の理由とすることは、結果的に債権者のストライキの行使を制限することになり、ストを理由にした解雇に相当し、不当労働行為に該当すると判断した。

それに加えて、本件においては、学校側が、グループレッスンからドーリー氏を排除すると同時に、生徒に対してドーリー氏のレッスンを受講しないように働きかけたことが、結果的にドーリー氏の稼働率の減少に影響を与えていることを認め、それを解雇の理由とすることは許されないと断じたのである。本件は学校が控訴したものの、控訴審(大阪高等裁判所平成12年11月7日)でも同じく学校が完全に敗訴した。つまり、労働者側の完全勝利であった。学校側は、お得意様である「生徒」を盾にとって、「ストライキをする先生の授業なんて取らない方がいいよ。」と耳元でささやき続けたが、結果としては、生徒の多くが、ドーリー氏の授業姿勢や人柄を賞賛する陳述書を提出し、労働者が身体を張って要求実現のために闘うストライキを支持したことになる。ストライキの意義を知っていたのは、経営側ではなく、むしろ生徒の方だったのであろう。

日米英語学院の闘いと勝利は、その後の労働者のストライキに大きな影響を及ぼすことになった。ここから、2名の当事者に当時のことを聞いてみよう。一人はゼネラルユニオン日米英語学院支部の支部長のポール・ドーリー氏、もう一名は、当時からゼネラルユニオンで活動し、現在は執行委員長であるデニス・テソラット氏である。彼らの生の声は現代の労働組合、そして労働者たちに大いなる示唆と勇気を与えてくれるだろう。

奥貫妃文
Hifumi Okunuki
相模女子大学法学の専任講師
Full Time Lecturer of Law at Sagami Women’s University
全国一般東京ゼネラルユニオン執行委員長
Zenkoku Ippan Tokyo General Union Executive President

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